街から人々が消えた
2020年 春
この不安な時代こそ
楽しい事は無いかと
誰でも簡単に楽しめる
毎日を当たり前に過ごせる
明るく笑顔になれる
そういうものが
わたしは
「ある」
と思いました。
何もなくなっちゃいそうな
気持ちが襲ってくる
そんな時
これから無くなってしまうものを
恐れてしまう
そんな時
それはその時わたしの心の中も
まさにそうだったのです。
でもそんな時
わたしの中には変わらない
〝なにか〟がありました。
そう思うと
気持ちが落ち着いて
そこに
「ある」ものを信じられ
それを見たいと思いました。
.
2020年4月のある朝
やさしい景色が脳裏に映りました
そこには明るい食卓
お母さん?
子供たち?
食卓の準備中のような
楽しい会話を感じました
なんとなーく斜め上の方から私は眺めていて
いいなあ
ほっとするなぁ
そんな気持ちで眺めていました。
ふとテーブルに目をやり
何が並んでるんだろう
と
目を凝らしました
んーお料理は?
なんとなくぼやけて見えません
そしてよくよく見ているうちに
キラリ
と
光るものがありました
器でした。
( うつわ?? )
となぜかわたしは自分に聞いていました。
器がどうしたの?
・
わたしにとって器とは
さほど縁がないものでした。
(え?嘘、好きでしょ)
好き?
好きと言えるほど選んだことも買ったこともない
そうね、でももし
自由に器を選べるなら
そりゃ、
いくらでもいろんな器を使ってみたいわ
同じお料理を載せても
絵と同じように額縁が変わると
雰囲気も変わったりするんじゃないかしらね
器のデザインってそれこそ世界中にあって
面白い奇抜なものもチャレンジしたり
とっかえひっかえ器が楽しめたら
とっても楽しいじゃない?
なーんて!^^
とは言っても
ありえない
なーにいってるの?ムリムリ!
器は今あるし
新しい器を揃えても
自己満足に過ぎないわ
食事をするには十分だしね
私が趣味で揃えても家族が喜ぶと思えない
個性的なデザインで心惹かれる器ほど、きっと飽きが来るのも早いだろうし
大体、スペースがないわよ
今ある器たちを整理するのがめんどくさい ( 本当は片付けたいけど時間もない)
戴いた良い器ならたくさんしまいこんである
もっともそれは、特別な時にしか使わず
食器棚の奥を占めている
(そもそも自分で選んだものじゃない…)
手前のほうにあるのは普段に使う使い勝手の良い無難な器たち
だから考えない!
これでいい
これでいと思っていた
ん???
これでいいと
思い込んでいた??? ・・・よ? わたし。
本当は
本当は
諦めていたんだ
知らず知らずに
日々の外を向いた生活に追われて
毎日の器についてなど考えないようになっていた
それは無駄なことだと思っていた。
一部のうつわ器好きの人たちの愉しみ方✨
一部のおしゃれなライフスタイルを楽しむ人たちのもの✨
さほど知識もない一般的なわたしとは違う
特別な世界にあるもの…
・
あーわたしはそんな風に感じていたのか!
いやいやいやいや!
そうかそうか
毎日の食卓の時間を
1日3回の食事と言うステージが
誰にでもあって
そこそこ普通に食事をとっている自分にとって
相当毎日を費やしている時間ではないか!!
ああ
もっと大切にしよう
今こそ。
・
やっとそこにきて、
そう思った時に
何が「ある」のかを改めて感じてみた。
あー、それが毎日の器なのか!
と私の中で腑に落ちてつながり
そしてアイデアがひらめいたのです
それが「うつわの、」のサービスでした。
この時代だからこそ浮かび上がったアイデアでした。
………
そうしてその日から進んでいます。
今も。
うつわの、代表 近藤 陽子